久しぶりのインタビューでございます。9月26日から28日までの三日間、アメリカシアトルにて主催なさった公演について伺います。公演は、伝統的な能の演目「巴」と「Yoshinaka」と名付けられた新作オペラの上演という形式でした。
Q.「巴」でシテを演じられた後、能からは宗典さんお一人だけ、アメリカのオペラ男優さん女優さん達と共に「Yoshinaka」に出演されました。この作品にはストーリーの組み立てにも演出にも深く関わられました。どのような心持ちで臨まれたのでしょうか?
A.公演全体がどのような風になるか、不安に感じる要素は圧倒的に多かったですね。3月に、この公演のPRといったプレイベント的なものとしてレクチャーやワークショップをシアトルで行い、8月半ばにはオペラ、私達は「能オペラ」と呼んでいるのですが、のお稽古の為に一週間程現地入りしました。お稽古を終えて帰る頃になって、「これは完全に形になったな」という感触を得て、その後細かい調整を経て、公演へ出発する前には、不安要素はほとんど無い状態になりました。おかげさまでチケットはほぼ完売で、反響も良く、次につながりそうなオファーも非公式ながらいくつか頂きまして、初めての試みとしてはひとまず成功と言っていいかなと思っています。
Q.客席には思いのほか現地の方が多かったそうですね?
A.昨年9月や今年3月のワークショップでは、日本語がおわかりになる方や日系の方が半分くらいはいらっしゃいました。雑感ですが、今回ご来場のお客様のうちの七割くらいは、「日本人・日系人ではない方」でしたね。それは珍しい、とても嬉しくありがたい事でした。
Q.「巴」は通常より時間を短くしての上演でした。
A.まともにやったら1時間20分以上かかる作品を、35分程度にまとめました。全編やるとの案も出ましたが、能オペラに40分程かかるとわかっていましたので、「巴」は「半能」の形式をとりました。結果的には、「能をもっと観たい」とのご意見を多く頂きました。それは或る意味成功だったなととらえています。「もう充分です、お腹いっぱいです」と言われるよりは、「もっと観たかった」の方が今後につながるでしょうからね。
Q.日本での能の公演では、演者とお客様との「気の交換」といった現象が起こるそうですが、シアトルでも経験なさいましたか?
A.しました。すごく感じました。今回の劇場は400席程度でしたが、ぎゅっと圧縮されたような空間で、半円といった形状は能で言うところの正面席・脇正面席・地裏席という三方向から観て頂くという形に近く、気の交換が起こりやすい空間だったのでしょう。
Q.舞台はどのようなしつらえだったのですか?
A.サイズはちょっと大きめで、多少工夫も必要でしたが、演じやすかったです。鏡板(かがみいた:能舞台に必ずある、老松が描かれた背景)の代用となる幕を吊るす事も考えたのですが、あえて止めました。本格的に能舞台を組んだ上で松の背景があるのは良いのですが、そうではない空間に松の絵があると却って違和感が生じてしまうのではないかと考え、黒っぽいモノトーンの背景で能と能オペラ両方を上演しました。その様な空間で伝統的な能がどう調和するか試してみたいとの気持ちもあり、その背景でやってみました。
Q.能オペラの衣装は大変ユニークなものでしたが、デザインに助言をなさいましたか?
A.私は全く関わっていません。現地の若手女性デザイナーがすべて担当しました。衣装はどれも絞りの着物をベースに鎧風や洋服風に仕上げたものでしたが、これがとても面白かったです。欧米系の顔立ちの方が着ると着物っぽく見える、けれど完全アジア人の私が着るとすごく洋服っぽく見えたのです。「これこそが文化の融合、コラボレーション!」と感心しました。
足下だけは私がお願いして、靴を履くのは止めてもらいました。私はかなり激しい動きをする事になっていましたので、絶対に足袋でないと舞えない、足袋でないと舞うべきではない、では皆で統一、と。私は白ベースの衣装を着ていたので白足袋、他の方達は黒い足袋を履きました。
Q.能オペラを演じるにあたり、個人的に留意した点をご紹介ください。
A.万が一の場合、能オペラには私の代わりになってくれる人がいないというのは大きかったですね。能の公演だったら、何かの理由で私が出来ないとなれば、誰かが代わりにやれます。けれど能オペラは能の人も代われない、オペラの人も代われない。なので、絶対に私だけは何としても乗り切らなくてはいけないという責務がありました。
もう一点は英語の発音です。全く慣れない英語で歌う事になったわけですが、歌う以上は発音をある程度のレベルまで持って行かなくてはいけないと思い、発音のレッスンに力を入れました。洋楽のリズムに合わせて舞うのは、稽古を重ねるうちに慣れました。大学時代にそういった活動も少しやっていましたしね。
Q.初の能オペラの試みに対し、同行の能楽師さん(お父様・従兄弟さん達を含む)や囃子方さんは、どのような反応を示されましたか?
A.すっごく面白がっていました(笑)。「興味深い」と「何やってんの〜?」の両方だったでしょうけれどね(苦笑)。もっと否定的な意見が来るかと想像していましたが、意外と皆好意的で、それは予想外でした。出来不出来に関する意見はあったのでしょうが、心意気は買ってもらったのだと思っています。
Q.シアトルを楽しむ時間はおありでしたか?
A.無かったですねえ(苦笑)。唯一の楽しみは食でした。稽古後公演後は遅い時間でしたが、二食に一食はガーリックステーキを食べていました。身体が欲していたのでしょうね。公演が終わった翌日の夜に、日本から来られたお客様達と演者達とで会食をしました。一次会ではビールをしこたま飲み、二次会ではワインを飲み、それまで一切お酒を控えていたので、あの晩はすっごく楽しかった!
Q.能オペラは今後も続けられるのでしょうね?
A.折角創った能オペラですから、改良を重ねてもっと洗練された形にしたい、洗練さでは全く太刀打ち出来ないけれど、650年の歴史を持つ能に対する挑戦といったものですから、今後も続けて行きたいと願っています。今回は劇場主といった演劇関係の方が、全米の幾つかの地域から、ニューヨークからも観に来てくださいました。その方々に「能オペラに可能性有」と判断されたか、可能性有としてそれをサポートしたいという方が出ていらっしゃるか、が重要なポイントです。場所はアメリカと限定してはいません。機会を頂けるのなら、どこででもやってみたいです。
シアトルでの思い出のひとつひとつを慈しむような、笑顔を絶えさせないままのインタビューでした。今後の能オペラの発展を心よりお祈りいたします。
(インタビュアー:朱雀)
リンク⇒ 2014年 北米報知(日本語版)
シアトルの最大誌「シアトルタイムス」のウェブサイト(一面に写真入りで紹介されました)
リンク⇒ seattletimes.com(英語)